宇多田ヒカルの「ともだち」歌詞考察。同性愛者の目線分かりすぎてる件。
先日、宇多田ヒカルが新曲「BADモード」をリリースした。語彙力が無いのでその良さを伝えられないけどめちゃくちゃ良い。それを記念して(?)前々から個人的な大好きな大好きな曲、「ともだち」の考察をしていきたいと思う。
この曲spotifyでは300万回再生くらいで、他の曲の再生回数(例えば、同じアルバムの「道」の950万回再生、「花束を君に」の1900万回再生)に比べるとあまり人気ないのかな、と思うけど全人類に聞いて欲しいくらい良い曲。なんと言っても同性愛者の目線をあの宇多田ヒカルが歌っているというのがもはや奇跡。ていうか、JPOP界のメインストリームでこういう曲を歌っている歌手ってほぼ存在しない気がする。アメリカやイギリスの歌手ではいっぱいいるのに、なんだかんだメディアへの表象まだまだ少ないのだと思う。
で、「ともだち」のどこがいいのかというと表題にもあるとおり、同性愛者のそれもクローゼットにいる人たちの秘めた思いを赤裸々に吐露しているところ。歌詞全編を通して共感の嵐。
"友達にはなれないな"
"もう君の一番じゃないと意味が無いから”
絶対周りに悟られてはいけない、けどある人を思う感情もあるジレンマを表現している。あとこの「もう」って入ってるのも憎い。これ今までは一番じゃなくても良かったっていう事だと思う。つまり、友達、もしくは知り合いくらいの関係性で、仲良くしていたのに気づいたら恋愛感情でその人を見ていた感じだと思う。一目惚れとかで好きになったらそれまでの関係値がない分、引きずらないで済むことが多い。けど、今までは何番目でも良かったひとが急に一番じゃないと駄目になる、その独占欲とか嫉妬心に自分自身で辟易しつつも気持ちは抑えられない。
2番の歌詞のお気に入り、というか刺さった箇所は
"とても上手に嘘はつけるのに 心は馬鹿正直”
さらっと歌っているけど、クローゼットにいる人は自然と嘘が上手になっていく、というかそうせざるを得ない現実を反映させている、哀しさもある歌詞だなと思う。言いたい人はみんなオープンにできるようになるといいなと思う。この曲が入ったアルバムがリリースされたのは2016年だから6年経ってるけどまだまだそうはいかない社会かな。
曲全体を通してほぼ共感しかないけど、唯一ちょっと賛同できないのは
”キスしたい ハグとかいらないから”
ていう部分。いやハグも必要やろっていうのが正直な感想。絶対そっちの方がええやろって思う。けど、この部分がハグいらないってなってるのは肉欲に近いものを表現したかったのかなと思う。同性愛者は普段中々出会いない分、たまってるものがあって余計にそういう欲も湧いてくるんだと思う。そういう意味では腹落ちする歌詞でもある。
宇多田ヒカル本人はノンバイナリーを公表していて、同じアルバムに収録されている「2時間だけのバカンス」のMVもいわゆる百合的な艶やかというか危なげなさを感じさせる。もしかしたら本人もそうなのかな?ちょっとそうであってほしい願望もあったりなかったり。。。